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この綺麗な書体をデザインに使ってみたい。

90年代の半ば、煤けて古くなった書籍に目を落としながらそう思いました。
それが私と活版印刷との付き合いの始まりでした。

その頃勤めていたデザイン事務所は殺人的な忙しさで有名でしたが、
なんとか空いた時間に分厚い電話帳をめくり「活版」と名のつく印刷会社さんに電話を掛けました。
しかし帰ってくる答えは「今はやっていない」、「先月廃棄した」など。
残念な思いで電話を切る日々でした。
 
数週間後、学生時代の記憶を辿って神保町を歩きました。
「あそこに、そんな感じのところがあったな…。」そんな頼りない記憶を元に
記憶とはかなり変わってしまった地図を少しずつ塗りつぶしてゆきました。
初冬の日暮れは、想像より早く辺りを暗く染め始め、
寒さにかじかんだ指をポケットに入れ、そろそろ事務所に帰らないと…と思ったときに
岩田明朝体の母型を持つ印刷会社さんを探し当てました。

以来、これぞという原稿には組版をお願いをし、清刷りを受け取ってはそれを版下にして原稿を作りました。
美しい文字と組版は、それだけで自分が作る原稿のグレードを高めてくれた気がしました。
21世紀を迎えた頃、鋳造部門を併設した大きな工場を板橋に稼働させていたこの印刷会社さんも工場を閉めました。
仕事量の減少も理由のひとつですが、文選、印刷の職人さんたちの定年がいちばんの理由と聞きました。
 
「なんとかならないものかなぁ」と思ったその頃、実はもっと身近なところでより深刻なことが起きていました。
パソコンが普及し始め、文字を自分で打つことがデザイナーの仕事の一部になりました。
それにより文字のプロである写植屋さんの仕事が減少し、次々と店じまいを始めたのです。

その頃、独立して仕事を始めていた私は困惑しながら
出来る限り写植の発注の機会を増やす努力をしました。
しかし一人のグラフィックデザイナーが抱える仕事量などたかが知れています。
とうとう大きな流れに何の楔を打つことも出来ないまま、次々と会社を閉める案内状が届きました。

「組版」の大切さを教えてくれた写植屋さんたち。
文字の先輩たちの仕事を自分が奪ってしまった気がして、やりきれない思いでいっぱいでした。
 
2005年頃、自宅の近くに老夫婦が営む小さな活版印刷屋さんを見つけました。活字はほとんど持って無いけれど、四六の四裁判と、
B5サイズの印刷機を持つその印刷屋さんに、ささやかな仕事持って行っては作業の合間にお話を伺うようになりました。
「できるだけ長く続けて欲しい。仕事を増やせば、続けてもらえるかもしれない。」
そんな気持ちで後継者の居ない活版印刷屋さんに足しげく通った自分の脳裏には、
会社を閉める写植屋さんに十分なことが出来なかった無念さがあったと思います。

印刷の様子やご夫婦の写真などをブログに掲載すると「あなたのホームページを見たと言う人から仕事が来たよ」
と言われ、役に立てたのかな、と、嬉しかったことを覚えています。
 
2006年秋、タイポグラフィの良書を多数出版されている「朗文堂」さんが、英国の活版印刷機ADANAを復刻販売するというニュースを聞きました。
その頃活版印刷に関連したイベント幾つかも行われ、「活版」という言葉を耳にする機会も増えてきました。
 
「印刷機は欲しいけど、それで何か変わるのかな…?」
 
漠然とした思いの果てに思いついたのがワークショップでした。
多くの人に、自身の手により印刷を体験してもらうことで、より深い理解が得られるのではないだろうか。
やがてその人が自分で印刷屋さんに発注する一人となるかもしれない。
また、定期的に開催することで毎回複数の人を取り込むこむことも出来るし、
それはきっと自分が活版印刷を使った作品を発表するよりも早いスピードで、
より多くの人達に興味を持つきっかけを提供することができるのではないだろうか? 
それが後継者探しに悩む業界へ、何かしらの貢献になるかもしれない。
 
2007年3月19日の印刷機の予約受付開始日、朗文堂さんに予約と講習会申し込みのメールを送りました。
そして準備期間を経た2008年の春、蔵前の事務所を「ユニバーサル・レタープレス」と名づけ、ワークショップをはじめました。
 
以来多くの人に興味を持って頂き、同じタイミングで、同じ志を持った人々がイベントや、カードなどの販売をはじめ、少しずつ、
様々なきっかけで、活版印刷に興味を持つ人が増えてきたようです。
そして今では、デザインの仕事をいただいているクライアントから、「活版印刷で」とご依頼を受ける事も増え、
定期的に幾つかの活版印刷屋さんに仕事をお願いすることが出来るようになってきました。
 
それでも10年後はどうなっているのか、残念ながら相変わらず不透明なままです。
しかし暗い顔をしていても仕方ありません。
今できることをできるだけ、誠実な思いで続けることが大切だと考えています。
そうすることで、次の世代のグラフィックデザイナーたちにも、現代と変わらぬ活版印刷の技術を、人を、
表現手法のひとつとして残すことができるのではないだろうか。そんなことを考えています。
 
テクノロジーの進歩は、私たちに大きな希望を授けてくれました。
パーソナルコンピューターは、私たちデザイナーの作業効率の向上に大きな貢献を果たしてくれました。
けれども、「技術を持った人々」の仕事を奪ってしまう側面も生み出しました。
それはデザインの分野に限ったことではなく、他の産業でも現在多く見られる構図です。

自分の仕事が、誰かを不幸せな気持ちにすることは耐え難いことです。
私はそう考えます。
現在の我々の仕事や生活の土壌を作ってくれた先人への敬意、技術を次の世代へつなげること。
まだまだ途中段階ではありますが、印刷や活字に育てられ、そこに敬意と愛情を持って止まない
一人のグラフィックデザイナーのプロジェクトを暖かく見守ってくだされば幸いです。
 
ユニバーサル・レタープレス